東ローマ帝国巡り ギザとカイロ DAY5

今朝もシェフがターメイヤを作ってくれていた。本当に揚げたては旨い。

昨晩、ホテルのスタッフに片言の英語で俺たちの今日の観光について

希望を伝えておいた。

希望は、ホテルからタクシーでエジプト考古学博物館に連れて行ってもらい、

その後、昼食にコシャリを食べるということだった。

元気だったらナイル川ディナークルーズにでも行くかなぁと考えていた。

Uberを予約して行くことも考えたけど、

ホテルのスタッフはタクシーを使ったほうがよいと言う。

 

時間通りにタクシーが迎えに来てくれた。クルマは日産のプリメーラかな?

ドライバーは、ワイルドスピードのドミニク役のヴィン・ディーゼルに似た人だった。

滅茶苦茶親切。いろいろ話しかけてきてくれる。

「日本車は最高だ」といってくれる。

途中で「ギザもカイロも信号機がないねぇ」と言ったら、

ダウンタウンにはあるさ」と言って、信号機のある交差点に連れて行ってくれた。

「たぶんエジプト人が東京に来たら、信号機だらけで驚くよ」と言っておいた。

カイロ市内は不思議な交通システムで、右折左折がなくて、Uターンするしかない。

 

とにかく、エジプト人の運転はクラクションが絶対不可欠で、

横断歩道がないので、歩行者はみんなクレージーな行動をしている。

地図で見る限りにおいては、

エジプト考古学博物館からコシャリの店もそんなに遠くはないんだけど、

道路を横断してコシャリの店に向かうのは極めて危険で難しいと思った。

だからUberじゃなく、お抱えタクシーにしたわけ。

 

ギザのホテルからエジプト考古学博物館へは、

高速道路(たぶん無料)を通っていくんだけど、

その高架上にある道路にもあちこちに歩行者がいて、平気で道路を横断してくる。

 

恐怖を感じながら、だいたい30分ちょっとで博物館に着いた。

で、博物館の周りは凄い人だ。えぇ~、こんなに混んでるの? 

たぶん観光客を乗せたバスが10時過ぎにスケジュールされて到着したのだろう。

(博物館から出てきた13時頃にはガラガラだった)

チケットを買うための雑然とした列とは言えない行列に並んでみたけど、

チケット売り場まで30分かかった。

エジプト考古学博物館、テレビで繰り返し何回も見ているあのピンクの建物だ。

とうとう来ちゃったなぁ。

中学生の頃から来てみたかった場所で、吉村作治先生の講演会も聞いたことがある。

憧れだったなぁ。

      

 

博物館の入口付近も人でごった返している。

なかなか入れないが、だんだん人込みに巻かれていき、入館。

館内は天井から自然光が採られているので明るい。

しかし、大エジプト博物館と違って、歴史のある感じでミイラ感が漂っている・・・

 

    

 

まずはガイドブックにある通り、ツタンカーメンの部屋に急ぐ。

場所は2階の奥。カンを信じて向かう。凄い人だかりが出来ている。ここだ。

撮影は禁止とのことだけど、けっこうスマホで撮影している外国人が多い。

日本でなかなか見る機会がなく、初めてお目にかかる。

いやぁ、凄い。凄い技術だ。

紀元前1327年没だから、3350年前のマスクだ。

 

ツタンカーメンの父ちゃんのあの長い顔のアクエンアテンの像とか見て回る。

あのクフ王のピラミッドのちっちゃなクフ王象牙の像も1階で見学できた。

       

もう少し勉強しておいたほうがよかったなぁと反省しながら見学を続ける。

クフ王古王国時代のファラオで、紀元前2600年代頃になる。

クフの統治していた時代から1300年経ってファラオになったのが

ツタンカーメンだ。

日本で言えば、現代のファラオがツタンカーメンだったら、

クフは奈良時代に生きたファラオになる。

なんかつながりはなさそうだなぁと思いながら、

日本の天皇家はよく続いているなぁなんて思ったりして。

 

あっという間に2時間が過ぎて、タクシーとの待ち合わせ場所に向かう。

途中、土産物屋があるので、エジプト綿のTシャツとか買い込む。

タクシーは時間通りに待ち合わせ場所に来てくれて、指名したコシャリ屋に向かう。

やはりこの道を横断するのは無理だったなと思いながら、賑やかな通りを進んでいく。

コシャリ屋の名前は「アブ・タレク」。ホテルのスタッフも良い店だと言っていた。

グーグルマップで、エジプト考古学博物館の周囲のレストランを検索し、

見つけた店なんだけど、ガイドブックでも超有名な店のようだ。


タクシードライバーの“ドミニク”にも「ご一緒にどうぞ」と誘い、

オーダーとかお任せで。

     

 

クルマは止める専門の人がいて、顔見知りなのか鍵を渡して運転を代わっている。

“ドミニク”は週に2回は食べていると言っていた。

マカロニ、米を盛った皿に、フライドオニオン、豆、トマトソースとかをぶっかけて、

チリソースや酢を追いかけして、グルグルと混ぜて食べる料理で、旨かった。

ライスプディングみたいなのがセットで、とにかくびっくりするぐらい安かった。

帰り道、パピルスで紙を作っているところに案内されたけど、

何か売りつけてくるのが見え見えなので、

適当にそこを出ることに。パピルスが極めて丈夫な繊維であることがよくわかった。

 

ホテルに無事戻った。ドライバーに米ドルでチップを渡す。

本当は、ナイル川ディナークルーズに出かけようと考えていたんだけど、

体力がなく中止することに。

 

街が停電している・・・ 地区全体が計画停電しているらしい。

しょうがないので、屋上でコーヒーを飲みながらピラミッドを眺める。

贅沢なひとときだ。

おそらくピラミッド、スフィンクスは見納めだ。

もう一度来るチャンスがあるかなぁ・・・

2月中旬だったけど、半そでで過ごせる感じで、

湿度が低くサラっとしていて気持ちがよかった。

 

だんだん暮れ馴染み始めるが電気は復旧しない・・・

窓のない“スィートルーム”なので、

真っ暗になると明日のアテネに向かうための荷造りができない。

取り急ぎ、部屋に戻って“専用テラス”に荷物を広げて荷造りを行う。

なんとか陽のあるうちに荷造りは間に合った。

電気は18時頃、陽が沈んだ頃に復旧した。

今日は、昼のコシャリで満腹。滅茶苦茶腹持ちがよい。

明日は6時にホテルを出て、カイロ空港に向かう。

ホテルのスタッフに迎えのタクシーを頼む。

寝る前に、もう一度朝6時の迎えのことを確認した。(少し心配・・・)

 

 

【PS.】20250422

このブログを書いた後、旅行の準備用に書き溜めていたメモを読み返した・・・

ガッビィ~ん・・・ 言葉を失った・・・

もうボケが始まってしまったか・・・

行ってみたかった「カイロのズワイラ門」に行くのを忘れていたのに気がついた。

 

ズワイラ門を知ったきっかけは、藤沢にあるしだれ梅で有名な常立寺だった。

常立寺には1275年に北條時宗が処刑した元からの使者の杜世忠らの墓がある。

このときの元の王が初代のクビライ・ハン(モンゴル帝国第5代)だ。

モンゴル帝国が分裂して中国を支配する元になった)

少し時を遡るけど、カイロではエジプトで成立したマムルーク朝の王クトゥズが

モンゴル帝国西アジア総督フレグの使者を1259年に処刑していた。

マムルーク朝モンゴル帝国に滅ぼされた中央アジアの王朝の末裔なので

復讐したのだそうだ。

その首がさらされたのがズワイラ門だったということを知った。

その頃はモンゴル帝国は第4代王のモンケのときで、

その弟がクビライとフレグだった。

事情は違うにせよなにかエジプトと日本の共通性を感じてしまう出来事だった。

 

カイロではかなり余裕のあるスケジュールで、タクシーも利用したのに・・・

ピラミッドに感動しすぎちゃったなぁ・・・

十字軍やモンゴルが攻めてきたときの由緒あるところだ・・・

失敗しちゃったなあ。

ぜひ皆さん方は訪問先にお加えください。