観光で行ったときの想い出の景色が映像に流れていく。
ホイル司祭が「to remember her long life of selfless service」と語られた。
「selfless service」とは、「無私の奉仕」と訳すようだ。
「無私の奉仕」からの愛を感じ、「無私の奉仕」に対して得る畏敬の念。
これらが成立する人だから国葬なんだろうと思う。
それに比べて直近行われるという我が国の国葬とは、
なんと薄っぺら感が歪めないことか・・・
なかなか日本人として愛という言葉を使い表現することは難しいのだけれど、
そこには間違いなく畏敬の念はあったと思う。
今になって思えば「無私の奉仕」を昭和天皇から感じていた気がする。
日本の政治家や行政の判断力や行動の根底には「無私の奉仕」があるべきと思う。
もりかけさくらもそう。国会答弁もそう。オリンピックもそう。
最近の事件からも「無私」ではなく「私ありき」が過ぎるように思うのは私だけか?
腐った臭いしかしない。
今回は「無私の奉仕」を感じられない人の国葬だから、納得感が欠けるのだろう。
さらにそれを言い出した輩、それをやると言った輩、それに淡々と従う輩、
それらの輩の浅はかさや国民を無視した判断は非難を避けられないはずだ。
もう少しまともな判断ができる政治家が登場してこないと、日本は危うい・・・