玉佳の中華丼

8月に行った紅太陽のとなりにある玉佳がその後ずっと気にかかっていた。

 

車で走っていたときにときどき玉佳という町中華をところどころで見かけてたので、

以前は藤沢市内に何店かあったように記憶している。

しかし、最近(といってもここ数年)は、

辻堂と藤沢本町(台町)の2店しか知らない。

辻堂の店の名はカタカナで「タマヨシ」。看板にはそう書いてあったと覚えている。

 

カレー味の中華丼があるんだけど、これが藤沢本町の店にもあって

同じ「玉佳」で、藤沢ローカルの系列店なんだろうなと思っているんだが、正解は?

 

どういう歴史があるんだろうなぁ。気になる・・・

どちらも昭和の雰囲気が残る町中華だ。

辻堂のタマヨシはまだやっているのかなぁ・・・

サーファー通りもテラモの渋滞で近寄らなくなったので通る機会がほとんどない。

昔は、踏切だったので大変な渋滞が発生し、タマヨシの前でよく止まった・・・

これが店を知ったきっかけだった(と思い込んでいる・・・)。

辻堂界隈の中華としては、

ここから浜見山に寄ったところにできた香港軒には何回か行っている。

でも、町中華という雰囲気ではないんだなぁ。

 

昨日のランチブッフェでの食い過ぎが祟り、

昨日の晩飯はビールと鯖缶と煎餅という状況。

 

起きてみると、井之頭五郎的に腹が減ってズームアウトされていく自分に気づく。

かみさんはすでに出かけていたので、ひとりで藤沢本町の玉佳に行くことにした。

店のそばに3台分の駐車場があるんだけど、幸いなことに1台分空いていた。

 

久しぶりに開き戸を開けて店に入ると、あらまぁ満員。しばし待つことに。

やさしい奥方が丁寧に接客してくれる。

注文は普通の中華丼に決めていた。

実は、藤沢本町の玉佳では中華丼しか食ったことがない。

玉佳丼の紹介が壁に貼ってあり「レバー入り」「カレー味」の「中華丼」とあった。

辻堂のタマヨシの玉佳丼と同じものなのかどうかはよく分からない・・・

 

塩味の中華丼。ご馳走様でした。

 

腹ペコ状態のオレにはなかなかよい選択だった。

さて、今夜は日韓戦!! ガンバレ!!

 

 

【PS.】20231014

図書館を覗いてみたら

神奈川新聞社の「かもめ文庫」から発刊されている

「かながわ・ふるさとシリーズ」「かながわ定食紀行」

という文庫本に目がとまった。

今柊二さんという方が著者で、一巻に50軒ぐらいの定食屋が紹介されている。

それが6巻もある。(300軒も訪問したのかぁ・・・ 凄いなあ。)

2008年頃から2020年にかけて2年おきに一巻ずつ出版されたようだ。

 

その中の第4巻「かながわ定食紀行 4杯目!そっと出し」に、

辻堂の「タマヨシ」と善行の「玉佳」が紹介されていた。

内容から辻堂の「タマヨシ」は今年で57年目らしい。

(2012年当時で46年目とのこと)

 

最近、関東地方の駅前によくある「日高屋」が今年50年目という記事を読んだ。

この「日高屋」より古いんだ。「日高屋」はドミナント戦略を徹底している企業。

「玉佳」はどういう発想で藤沢界隈でチェーン展開しようとしたのかねぇ・・・

ますます聞いてみたくなった・・・ 食材調達の効率化なのかなぁ・・・

 

ちなみに、確か日本で一番古い食堂チェーンは「じゅらく」で、

当初は「須田町食堂」という名前だったと聞き及んだことを記憶している。

(実は、以前「じゅらく」さんはお客さんだった・・・ かなり昔の話。)

上野の「じゅらく」の前を通りかかると無性に「海老フライ」が食べたくなった。

京都の錦の「スター食堂」もかなり古いと聞いた。

(よく墓参りの帰りに立ち寄った・・・)

ハンバーガーチェーンの最初は「ドムドム」だったということと合わせて覚えている。

(なぜかドムドムは利用したことがない。)

(なんかお笑いのネタが衝撃的だった記憶がある。)

(競争戦略を学ぶ際、フォロワーの典型として習った。現在は、ニッチャーの地位。)

ダイエーの衰退とともに・・・ だったけど、最近は見事に復活。)

(藤崎忍社長は専業主婦から社長に昇りつめた!! 凄い!!)

 

 

店の紹介の中でおかみさんとの会話が書かれており、

「チェーン店として仲間の店がたくさんあった。」

とある。

そういうことだったのかと納得。

とりあえず「かながわ定食紀行」は全巻読んでおこうと思った食欲の秋。